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見切り発車なQueer冒険記

毎日が刺激的な冒険。ディズニーキャストのプログラムはコロナで頓挫中。タイ🇹🇭→物流→CRP🇺🇸

正解を学ぶのが学問じゃない!経済学への興味

常に人生迷走中のよしふじです。

最近井上純一さんの「キミのお金はどこに消えるのか」を読んで経済学への興味が再燃してきました。何を隠そうぱなこは経済学部出身なのですが、経済科目の成績はひっどいものでした笑

大抵の大学にある経済学部と言えど、学校によってその学び方は違うのでしょうが私のところはまず必修で微分積分がありましたね…「文系科目だけで入学出来るのおかしいだろ!」と思うぐらいグラフと格闘していました。

そんな感じで早々に経済専門科目への苦手意識を持ってしまった私は政治学とかなるべく経済の専門科目と関わらないような履修をしていた記憶があります。(とは言えミクロもマクロも履修していますが…)

 

そんな私が「キミのお金はどこに消えるのか」を読んで疑問に思ったのです。

苦手意識を持っていたとはいえ、講義はきちんと聞いていたしある程度理解もしていたつもりだけど、赤字国債については有無を言わさず国民への負担になるという理解でした。しかし「キミ金」で述べられた赤字国債が国民への負担になったとしてもそれは次世代、次次世代というレベルではなくずっと先のことであることについては、聞いたことがない話だったのです。

 

言っても経済学が苦手だった私の記憶だから…と大学時代試験前に愛用していたマクロ経済学の参考書を引っ張り出してきました。

そこにあったのは「公債発行の効果」として紹介されたフリードマン資産効果リカードバローの中立命題でした。*1

いずれも要約すれば公債の発行、つまり財政政策は結果的には意味がないとする主張であり、「キミ金」の主張とは立場を異にするものでした。

 

だとすれば、どこの話を根拠に書いたのだろう?

私が学んだ経済学は結局何だったのだろう?

と疑問に思い、その参考書でマクロ経済学の基礎の基礎からさっくり学び直したりネット調べたりした結果、経済学という学問に対するなんだかとんでもない勘違いを私はしていたことに気付いたのです。

 

「高校までの勉強と大学からは違う」「大学は研究をする場である」

巷でよく言われることです。高校までの評価制度とは違ってレポートが課されることが多くなったり、卒業するには卒業論文を書かなきゃいけなくなったりすることからそう言われているのだと、そう思っていました。しかしながら、私が履修した経済専門科目はテストでの評価がほとんどでした。それも計算式やグラフをいっぱい書くことが求められるような。私は思いました。こんなに理論として確立されていることがたくさんある学問なのに、研究のために大学院に行く人は一体何を見つけに行くのだろう、と。その考えは私自身が理解していると思っていたことを、実は全く理解出来ていなかったことから生じた勘違いでした。

 

確かに経済学には確立されたモデルがたくさんあります。ですがそのどれもが”仮定”によって現実社会の一側面を固定した上で金利を上げたらどうなる、下げたらどうなる、国債の発行量を増やしたら?などと理論を固めているわけです。

ということは、その”仮定”がもし正しくなかったとしたら?理論自体が成り立たなくなります。その仮説と証明を巡って様々な派閥や理論があるのが経済学なのです。

 

ちなみに「キミのお金はどこに消えるのか」が主に支持しているのはMMT(Modern Money Theory: 現代貨幣理論)だと思われます。私がこれを大学で学ぶ機会がなかったのは、マクロ経済学の中ではやはりミクロ経済学を発展させた古典派vs.ケインズ経済学という図式が歴史ある構図であり一般的だからでしょう。全く立場を異にするMMTは公務員試験にも登場することはありませんし。

 

結論として言いたいのは、世の中の事象全てを説明できる学問など無いと言うことです。ただ、それでもどうして学ぶ必要があるかと言うと”知らない”ということを知るためだと思うんです。これこそソクラテスの言う「無知の知」ですね。私が大学で学んだような経済学の基礎があって初めてMMTが有用な理論かどうか?という議論をする土俵に立てる、ということです。何故ならMMTだけを知っていても、じゃあ何故今その理論に則った財政・金融政策がされていないの?という質問に答えることは出来無いからです。

 

もっと言うと、どの理論を支持する立場に立つか、というのは現実をどのように切り取るか?ということに依拠していると言えます。景気の急激な変動が無い限り、今が不況か好況かという実感は個人の経済状況によって変わるとも言えます。格差が広がっているか縮まっているかということも、身の周りの経済状況によって個人の実感は変わってきてしまうのです。

 

しかしながらその現在の経済状況を俯瞰的に見れるように調査・研究したのが「21世紀の資本」で有名になったトマ・ピケティという経済学者です。

今までの経済学の多くは短期的・限定的なデータによってのみ分析されたり、理論上で捉えられていた経済の実態を、古代ゼロ年から現代までの約20カ国以上の国々の経済データを集めたことで、より現実の実態に近い分析・推論が出来るようになったという点で画期的なのです。

 

そのピケティが膨大な歴史的データから導き出したのは、資本主義社会ではどうしても格差は拡大していくという事実でした。それまでの経済学ではクズネッツ曲線に代表されるように経済成長する上で、最初は新サービスによる恩恵を受ける人が少ないため格差は広がるが、サービスの恩恵を受ける人が増えるにつれてその格差は自動的に縮まるというセオリーがありました。しかしながらピケティは古代〜現代の世界中の広範囲なデータを元に資本収益率r>GDP成長率g(資本家たちが利益を拡大するスピードの方が、労働者たちが所得を拡大するスピードより早い)という結論を導き出し、経済格差の是正措置の必要性を説いたのです。

 

私は経済学の専門家ではありませんから、ちょっとした興味で調べて書き綴ったのがこの記事です。そして世間一般のご多分に漏れず私もどうしたって自分と同じような環境で育ってきた人たちとの付き合いがほとんどであり、格差を感じる機会は少ないと自覚しています。しかしSNSで色んな世界に触れたり、二丁目に顔を出すようになったり、色んな国を旅行することで、そしてこのコロナ禍で色んな人の状況を見てきて格差是正の必要性と、国の政策として出来ることがあるのではないかと思ったのです。

という上記の色々を鑑みて、私は現時点では格差是正のためにMMT理論を支持する立場に立ちたいと考えています。

 

今回参考にした本はコチラ↓

 

 

 

これからも勉強し続けて知識のアップデートに努めたいと思います◎

 

 

 

*1:試験攻略 新・経済学入門<Ⅲ>上級マクロ編/ 石川秀樹 著