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見切り発車なQueer冒険記

毎日が刺激的な冒険。ディズニーキャストのプログラムはコロナで頓挫中。タイ🇹🇭→物流→CRP🇺🇸

累(かさね) 自分自身であることを問う物語

継続することが中々出来ぬよしふじでござる。

 

大して読まれることはないとわかっていても、少しでも人目に触れる可能性のあるものに対しては超慎重になってしまうので、日記に保存している文章はたくさんあっても中々公開できないよしふじであった…

 

そんな私が昨年夏にハマった累(かさね)について、改めて良い作品だと思ったので布教活動します笑

最後の方映画版のネタバレ注意!

 

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私が初めて累という作品を知ったのは 映画公開の1 年ほど前。たまたまネット広告に出てきて見かけた程度だったと思う。『キスをすると顔が入れ替わる』この摩訶不思議な設定に魅せられ、実写映画化されることを知り非常に興味を惹かれたのだが、何故だか私はその段階では原作漫画に手を出さなかった。それは単に私の気まぐれということもあるが、その段階では原作漫画よりも映画の方に興味があったからかもしれない。


そして一年後、すっかり累のことなど忘れていた私だったが、上映を知り惹き付けられるように映画館に足が向かった。平日の夜。レディースデイ。レイトショー。フタリウムという名のカップルシートの片方に私は腰掛け累を観る。累の母親、淵透世の 3 回忌から物語が始まる。上映数分前に食べたトムヤムラーメンのせいか終始私の口腔内はダメージを受けカラッカラだった。否、終盤の口の渇きは“丹沢ニナ”の迫真の演技、ニナと累の魂の叫びに息を呑みっぱなしだったからかもしれないが。


終映後は迷わず帰宅のバスに向かい、主題歌の「Black Bird」を延々耳の中に流し込む。バスに揺られながら映画を振り返る。
バスを降り、電車を待つ間、スマホにこんな感想を書きなぐっていた。

 

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ニナ、累、マネージャー、累の母親、ニナの母親。 誰もが誰かの軸で生きていたり、憧れたり、愛を欲している、そんな物語。だけど最後にたった一人、ニナだけが自分の人生を生きることに執着した。奪われまいと動く姿が光って見えた。だけど、そんなニナを振り切って舞台に戻った累は、舞台袖の母親の幻覚を追いやった。累の舞台への執着は、すなわち母親への執着だったのではないかと推測する。そんな幻影を消し去ることができた累のその後の舞台は、ただの演技への執着ではなくそれもまた自身の人生への執着に変わっていた。例え偽物で作られたものであったとしても。誰もが自分の人生を生きていない。自分の人生を生きることは難しい。何度となく奪われたニナだけがその尊さに気付いた。顔は、ただの造作じゃなくてその人の人生だ。ただ美醜を比較するキャンバスなどではない。ニナはただの狂気であんな行動を取ったのではなく、自分の人生を取り戻したかったのだ。

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累の世界観にハマりにハマった私は漫画を全巻大人買いして一気読みして良い大人が嗚咽が出るほど号泣した。

漫画を読んでみて分かったのが、映画版累はあくまでアナザーストーリー。設定は同じだけれど、累とニナの物語の転び方が漫画版とは多少違って、でも漫画版のエッセンスも取り入れて伝えたいことを伝えている。顔は単なる美醜の対象ではなく『その人自身』だ。そう考えると人間に美醜の感覚が備わっていること自体を恐ろしくも感じてしまう(それだけで中身を見ない理由にもなりえるのだから)。ただこの物語は美醜に関して考えさせられるだけの話でもない。先に述べたよう、顔はその人自身。自分が自分として生きることがどういうことかということを考えさせられる物語でもあるのだ。漫画版の方がこの辺はより深く掘り下げられている。が、映画版も『自己同一性』について観客に考えさせる導入としては非常に良い作りだった。眠りから覚めたニナの知らないところで『丹沢ニナ』が活躍し、名を馳せていく、母親にも認められている(漫画では母親は唯一この状況に違和感を持つ人物として書かれているが、時間の限られた映画版ではニナの母親も累の味方にしてしまうことでよりニナの孤独を浮きだたせる作りになっていると思う)。その事実がニナを孤独にし、“自分”として生きる意味を見失っていく。映画版では、累、ニナ、羽生田。皆自分ではない誰かを追って生きていた。累は累の母親の影を追って光の下へ。ニナは演出家烏合と母親の愛情を求めて。羽生田は累の母親、伝説の女優である淵透世の演技を求めて。しかし、クライマックスでニナは自身の顔を切り刻んででも自分の人生を生きたいと切望し、累はそれまで付きまとっていた母親の影を振り払って自分自身のために舞台に立つ決意をする。
どちらも狂気的だが美しく、非常に胸打たれるシーンであった。


とはいえやはり、映画版だけでは未完成なのがこの作品。映画に魅了された人はぜひとも漫画の方も全館読んでほしいものだ。そして漫画のファンの方も実写映画を毛嫌いせず、二人の女優がどのようにニナと累を演じるのか、その目に焼き付けてほしい。